魅力とはなんだろうか。今日は人を惹き付ける力について話そうと思う。
以前、「私は必要とされる人ですか」と相談されたことがある。
なにか直接的に役に立つ必要はないんだよ。あなたに会いたくなる、話したくなる、それこそ十分すぎるくらい必要とされていることなんだ。技術は、時代と共にいつか使えなくなるが、あなたに会いたくなることそれ自体は時代を超えて通用する。
人から必要とされたかったら、まず魅力を上げるんだ。正直、魅力があればあとはなんとでもなる。
人が集まる者、憧れられる者の最大の特徴がひとつある。これは、誰でもできることで、生まれもった能力ではない。そしてこれから話すことは、今から誰でも実践できるけれど、ほとんどの人がしてこなかったことだろう。だが、魅力的な人はある要素を共通して持っている。
誰でも調子の良いとき以上に、悪いときがある。運命に翻弄されることがある。理不尽の雷が脳天を打つような出来事がある。
その際、ほとんどの人は降りかかる不幸に酔い自暴自棄のダンスで乗り越えようとする。それも悪いことではない。自分を守るためなのだからしょうがあるまい。だけど、奈落に堕ちて気持ちも沈むと、人は離れていく。それで寄ってくる人間たちは、同族であり、そこに生産的発展的な関係はない。不幸を出汁にして、騙してくる者もいる。そこに居続ける限り、あなたを本当の意味で引き上げてくれる人間は出てこない。
魅力のある者たちは、決して不幸に酔いしれることはない。可哀想な人間として自分自身を捉えないし、捉えさせない。マリアナ海溝に沈むようなことがあっても、浮力で上がってこれる。この浮力の正体は、魅力の正体でもある。
魅力のある者たちは、常にご機嫌でいる。どんなことがあっても機嫌が良くなるように自分を整えている。表面だけを取り繕っていても、相手に伝わる印象は自身の内心のバイオリズムに左右されることを知っているからだ。
明るいところに人は集まるように、ご機嫌でいると人が集まってくる。元気をもらえるからだ。そこにいるだけでいいと言われるような存在として必要とされる人間は機嫌がいい。落ち込んでいてもなぜか機嫌がいい。
どんなことがあっても我慢しろ、ということではない。それは奈落の底の水圧に耐えているだけである。それでは人が離れていく。どれだけ人を笑顔にしてきても、泣きながら会見などされたら、もう笑えないのである。魅力にならない。ただの被害者、哀れみの対象だ。
我慢ではなく、ご機嫌になるように整えるのである。自分に何を与えれば、何をさせれば、どのような状況になればご機嫌になるのかということを知っておこう。
躓いても傷ついても貶められても、気前よくさらりと流して機嫌よく振る舞っていこう。どんな状況であってもご機嫌纏う軽やかな雰囲気が、人を惹き付ける。どの道を進もうが行き着く先はみんないっしょだからさ。どうせなら面白く生きていこうじゃないか。
魅力ある人が集まっていれば、地獄も楽園になるだろう。