目標の扱い方
目標は追いつきそうになったら更新することだ。灯台に近づきすぎれば船は座礁し動けなくなるように、我々も目標との距離がゼロになれば身動きが取れなくなる。つまりそれ以上離れられなくなる。これは街灯に群がる虫たちも同様である。
より遠くへ行きたいのであれば、近場の灯台の光を消すことだ。そして目をよく凝らすことである。すると、遠くの灯台の光が見えるだろう。ある程度まで成長できるが、それ以上成長できないタイプの人間はこれができずに座礁してしまったのだ。
人生全般について、暗中模索になる人は手に持っている松明の光が強すぎて、指針となる遠くの目指すべき場所が見えなくなっている。また、瞳孔が閉じすぎて光を取り込めなくなっている。暗中模索になってしまうのは、松明の強い光せいで暗闇に伸びる道が見えていないからだ。したがって、一度松明を消火する必要がある。持っていたものを手放すことで道が見えてくるだろう。
絶望の乗り越え方は、絶望を味わうこと
人生に退屈的な方もいるだろうが、到達した灯台の下で座礁しているか、手に持っている松明が強力すぎて道が見えていないということになる。
絶望しきった先に必ず希望の光が見えるのは、暗闇に目が慣れるからである。私は「もうこの際、死んでやろうか」と思った矢先、新たなやるべきことが見つかって以前よりも増して生き生きしてしまったということが何回かある。
落ち込んだときは、とことん絶望することだ。孤独に向き合い、闇を友として迎え入れる段階まで絶望に慣れることだ。
絶望を受け入れた段階で助けが必要なのであれば他人の力を借りよう。中途半端な状態で慰められてしまえば、踏ん切りが利かず、未練を残してしまう。あるいは、その人に依存することに繋がってしまう。それでは、希望の光は見出せない。進んでいても違和感が残り続け、またぶり返してしまう。
光は遠くに求め、進むこと。光とは目標・希望・憧れである。人間は弓から放たれた矢のような存在である。目指したいところがあり、かつそこに向かって進んでいるときに、生の実感が湧いてくることだろう。